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津島天王祭

津島天王祭

パーマリンク 2014/08/16 10:41:58 著者: y-ishida2 メール

まず祭の名前を「天王祭」と呼ぶことに注目したい。津島神社の祭神であるこの天王は牛頭(ごず)天王(てんのう)のこと。牛頭天王とは元々インド祇園精舎の守護神で、我が国にわたって薬師如来の垂迹(すいじゃく)とされ除疫神として祀られた神様である。垂迹という意味は渡来宗教である仏教の仏が日本土着の神の姿で現れるという神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)の思想である。ここに、日本特有の祭の面白さをまず知っておきたい。この多神教を土台とする、神仏習合の日本人の宗教観が、ユダヤ教をはじめとする一神教の普及抑制に働いたのではないかというのが私の仮説である。
次にこの祭は川祭であるという点に注目したい。水があらゆる生命体の源であるという観念は原始の頃からあったのだろう。だから日本神話には瀬織律姫(せおりつひめ)という神が登場する。水に流すという日本語があるが、祭で人々の穢(けが)れを川に流して再出発という、伊勢式年遷宮の「再生思想」が祭に込められていると考えられる。
津島祭の最も大切な神事は御葭(みよし)神事と言って葭(よし)の束に神が降臨する。神迎えの宵祭、神送りの朝祭が終わった後、参詣者の穢れを一身に背負った御葭を川に流す神事を、神社関係者だけで行う。
神迎えをする宵祭には観光客が群集する。夏の太陽も陰る頃、4艘の車楽船(だんじりぶね)に提灯の明かりがともる。夜の帳が下り、凪いだ川面をゆらりゆらりと優雅に動き出す。桟敷にもたれ遠景から見る車楽船の動きはアニメーションを見ているようで、スロー文化の極致だった。
祭囃のついてはまた別の祭で述べるが、一言で言うと、所により祭により千差万別、邦楽としての様式は一定であるものの、ダイバーシティに富む。
ところで、元々この祭りは6月14・15日に行われていたが陰暦を太陽暦に変えて7月の第4土・日にしたという。私はこの祭日を変更する事には多少の抵抗を感じていた。陰暦と太陽暦の差には違和感は無いが、日曜日に合わせる考えに異議ありだ。1週間の6日働いて最後の1日を安息日と決めたのは旧約聖書である。が、東洋のコスモロジーには7という数にも意味を持たせているので、まあいいかと頑(かたく)なを捨てる気になった。
「日本の祭の最も重要な変わり目は見物と称する群れの発生、すなわち祭りの参加者の中に信仰をともにせざる人々、いわばただ審美的な立場からこの行事を観望する者のあらわれたことである。」と柳田国男は述べている。「祀る」が「祭り」になりさらに「まつり」になった。
大多数の見物客は、なぜこの祭をやるのか、だれが運営しているのか、考えはしないだろう。しかし、この600年の歴史を刻む津島天王祭は、日本人の先祖崇拝の信仰心が岩盤であることは確かである。

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